しばらく前にプロテニスプレーヤーの大坂なおみさんが米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたことが話題になりました。彼女の功績を称える一方で、彼女が日本人であることに違和感を覚える人がいることは事実のようです。果たして、「日本人」とは何なのでしょうか。このセンシティブな話題を今回は英語学習者として考えてみます。
Most Influential People 2019
まずはTime誌のオンライン記事を見てみましょう。
TIME 100 – Most Influential People 2019
このブログを以前にも読んだ方はご存知かもしれませんが、私は英文のサイトを容赦なく紹介します。選出された100人の中で、大坂なおみさんは「Pioneers」に選ばれました。
NAOMI OSAKA
グランドスラムを18回制覇したChris Evertさんのコメントのうち、前半のグランドスラムを連覇した精神力を賞賛した部分が報道で紹介されているのを私は何度か目にしました。ここでは後半で語られている彼女のアイデンティティに注目したいと思います。以下にそのコメントを引用します。
Osaka was born in Japan, the country she represents, but grew up in the U.S., initially in the home of her Haitian grandparents. Some people want her to embrace a single identity. She’s more concerned with just being herself. [TIME USA, 2019]
アメリカで育ち日本を代表する彼女に対して、1つのIdentityを持つことを望む人がいるとのことです。尚、大坂なおみさんの公式サイトのプロフィールによると彼女は日本で生まれ、3歳の時にアメリカに移り、現在はフロリダを拠点に活動しているそうです。母親は日本人、父親はハイチ系アメリカ人、国籍は日本です。
ここで質問です。日本人とは何でしょうか?ここでは敢えて答は出さず、問題提起にとどめたいと思います。
日本人とは何か
先日帰省した際、父とテレビを見ていたら大坂なおみさんの話題になりました。私の父は「日本人」である彼女の肌の色を気にしていました。父は古い人ですが、若い人でも同じことを考える人はいるかもしれません。しかしここで断言させていただきたいのは、
国籍 = 人種 = 肌の色
という単純な図式は存在しないということです。私がカナダの大学院に留学していた時、同じ学部に日系二世の女性がいました。彼女の両親は日本で生まれ育った日本人。両親は結婚してカナダに移住し、彼女はカナダで生まれ育ちました。外国語として習った日本語を少し話せます。日本の国籍を取得する権利もあったそうですが、自分が知らない間に両親は彼女のためにカナダの国籍を選んだとのこと。深い話も出来るようになったある日、私は彼女に、自分は日本人だと思うかカナダ人だと思うか聞いてみたところ、少し考えて「カナダ人だ」と答えました。彼女の言葉をそのまま引用すると、Biologically 100% Japaneseだが、文化的にはカナダ人だと。

国籍は法的な縛りでしかないと割り切って、自分は何人か考える時、自分の考えや言動に影響を与える文化が何であるかは肌の色より重要かもしれません。どこの国にも独自の文化があり、文化は言動に影響します。実際、私を含む日本人英語学習者の中には日本語で会話する時と英語で会話する時に異なるMind setを使う人も少なくありません。日本語文化と英語文化が異なるからです。
では、日本文化の中で生まれ育った私たち日本人が英語を学習する上で考えたいことを考察しますが、その前に私の体験談を紹介させてください。
英語学習は日本を再発見すること
このブログの初回にお話しましたが、私の初めての海外は発展途上国でのボランティアでした。当時エンジニアだった私の任務は技術指導です。そこでは私は「先進国から来た人」と見られていると感じました。つまり極論を言えば、技術があれば日本人である必要は無かったかもしれません。
帰国後数年間サラリーマンをした後、今度は大学院留学のためにカナダに行きました。矛盾して聞こえるかもしれませんが、カナダと日本はどちらも先進国であり「日本から来た人」と見られるための充分な近さがあり、同時にその違いを比べられるほど充分な違いがありました。2度目の海外で私は初めて自分が日本人であることを意識しました。

ここで大事なのがコトバだと私は考えます。以前「流暢な受験英語からの卒業」でお話しましたように、受験英語は基本的に日本語です。受験英語を駆使して事実を伝えることはできますが、人柄を伝えるものは自分のコトバとして話す活きた英語です。お互いが自分のコトバで話すことで違いが見つけられる。英語学習を通して活きた英語を身につけることで自分が日本人であることを再認識する、つまりそれは日本を再発見することだと私は考えます。
先に「日本語で会話する時と英語で会話する時に異なるMind setを使う」と述べましたが、これは英語を話す時は日本人ではなくなるという意味ではありません。日本人的なMind setの典型例としては、例えば謙虚であることを装うための遠慮や褒めてもらうための謙遜が挙げられますが、このような意識は英語で会話する際の意志の疎通を妨げます。これらの「お約束」は抜きにして、生きた英語で腹を割って話すことで、自分が日本人であることを再認識できます。
自分のコトバで
最語に、これまで述べてきたことと一見矛盾した歴史的事実を紹介します。戦後の日本をアメリカGHQによる占領を経て主権を回復することとなったサンフランシスコ講和会議で、当時の首相の吉田茂氏は演説を日本語で行ったそうです。当初は英語で演説する予定だったそうですが、一説によると顧問として随行した白洲次郎氏の提案により、連合国と同等の資格で講和会議に出席するという主旨に基づき急遽日本語で演説することになったとのことです。
つまり異文化から来た二者が対等に話し合うためにはお互いが母国語で話すべきだ、と解釈することができます。私はこの考えに賛同できます。が、日本人が日本人のIdentityを失わずに英語を自分のコトバとして話して意志の疎通をはかることも可能です。そのために必要なことが活きた英語を学ぶことです。
先に重ねて英語と日本語の会話では異なるMind setを使うことがあると述べました。このような英語と日本語の違いは大枠の考え方から細かい表現にまで至ります。次回はこのうちの後者、日本語ならではの表現と英語ならではの表現について例を挙げながら紹介します。



