このブログでは幾度となく「英語を英語のまま理解する」という話をしてきましたが、これから複数回に分けて、そのために何をすればよいか考えていきます。はじめに一つ結論を言ってしまうと、英語を英語として理解できるようになるために「これをすればよい」という一つの方法はありません。
これまでに何度か英語を学習する上で大事な考え方についてお話しましたが、いい機会なので少しおさらいしてみます。
習って慣れろ
英語を英語のまま理解するなんて無理、と思った方は次の一文を読んでみてください。
I have a pen.
ピコ太郎さんのおかげでこの一文が頭に染み付いた私達は「この『I』が『私』という意味の主語で、続く『have』は他動詞で…」などと文法のことを考えなくても、大半の方はこの一文の意味することが和訳を介さずに理解できたでしょう。極論を言うと、この理解の範囲を広げると英語を英語のまま理解できるようになります。
以前「英文読解で文法より大事なこと」という話をした時に私は「英文読解のための始めの一歩は、新しい文法の知識を増やして頭でっかちになることではなく、今知っている文法に慣れること」だと書きました。実はこの「I have a pen」という一文を読解するためにも文法の知識は必要ですが、私達の多くはそれを習ったことすら忘れてしまうくらいにその文法に慣れてきたのだと思います。つまり、習って慣れてきたのです。
では、次の一文を理解するために必要な文法の知識は「I have a pen」のそれとさほど変わらない、と言ったら信じられますか?
But in view of the more recent development of electrodynamics and optics it became more and more evident that classical mechanics affords an insufficient foundation for the physical description of all natural phenomena.
ここでI → it、have → became、a pen (名詞) → evident (形容詞) と置き換え、「it…that構文」の知識を足せば、実はこの二つの文章の構造は基本的に同じで(that以降も基本的に同じです)、その読解に必要な文法の知識はあまり変わらないということが分かります。それでもこの長い方の文章が理解できないのは、習ったことにまだ慣れていないからでしょう。そして、習ったことに慣れていって理解の範囲が広がり、その後で新しいことを習えば、次第に英語を英語のまま理解できるようになります。
ご参考までに、上記の一文はAlbert Einsteinの「Relativity: The Special and General Theory」、いわゆるアインシュタインの相対性理論からの抜粋で、以前「英文のReadingに必要な文法の知識」で引用した一文の後に続きます。
ここでもう一つだけ述べておきたいのは、文章の複雑さはその長短に因るとは限らないということです。受験英語しか習ったことがない人は次の一文を読んでもピンと来ないかもしれません。
That’s what I mean.
語数は「I have a pen」と同じですが、ここには関係代名詞が含まれます。しかし慣れてしまえばそんなことを意識しなくても理解できるようになります。この表現については後日あらためて解説します。
得意なことから始める
本題に入る前に私の体験談を共有させてください。私はカナダで働いた後に日本に戻って職に就き、欧米人が日本で働いて感じることと同じことを感じてしまいました。
仕事の成果が評価されない。
日本には反省を美徳とする文化がありますので、仕事は自分や他人の悪いところを見つけてなんぼなところがあります。つまり自分の悪いところを見つけて反省してから次に進みます。一方で欧米諸国には日本人のそれと比べると人の良いところを評価する姿勢が顕著なところがあります。このブログで私は、英語を習うことは異文化を理解することだという話も何度かしてきました。ここでせっかく英語を習うのですからその文化に倣い、自分のダメなところよりも得意なことに目を向けてはいかがでしょうか。

上述のように英語学習に一つの方法はありません。これから複数回に分けて多読や多聴から辞書の使い方まで触れるつもりです。その中で、自分の欠点を直すことも大事ですが、英語学習を楽しく続けるためにも、自分の得意なことを伸ばすことから始めてはいかがでしょうか。得意な分野でも、得意な学習アプローチでも、まずは自分が続けられることを見つけてください。
継続は力なり。その継続には楽しいことも必要です。
われ日にわが身を三省す
つい先ほど、まるで反省することが悪いことのような書き方をしてしまいましたが、そうではありません。
今後辞書の使い方にも触れますが、このブログの読者には三省堂さんの辞書を使っている方もいるでしょう。その「三省堂」という社名が論語の一文に由来することをご存知の方もいるかもしれません。
吾日三省吾身(われ日にわが身を三省す)
この「三省」は「不忠、不信、不習」のことで、最後の不習とは「習わざるを伝えしか(十分納得していないことを受け売りで教えたりはしなかったか)」という意味だそうです。[三省堂, 2020a,2020b] ここで英語についてつべこべ言っている私は肝に銘じなければならないことです。
一方で英語学習においては、一つのことを完全に納得していなくても次に進むべきことがあります。多読や多聴はまさにそのような学習方法です。次回からこれらの学習方法について考えていきます。